亡き母を想う・・・

おはようございます!

3連休の最終日。今日も涼しい朝です。
昼から軽井沢に向かいますが、寒さ対策をして行った方がいいかも?

さて、昨日10月13日は亡き母の誕生日でしたので、今日は少し母の思い出を
書かせて頂きます。

母は花笠音頭の作詞作曲者有海とうしゅうの次女として山形市で生まれ育ちました。
そして大恋愛の末父と結婚したのです。私が小学校5年の時に我が家は破産。
それから、母の苦労の一生が始まりました。東京の貧乏長屋での生活はそれはそれは
大変でした。母は体があまり丈夫ではありませんでしたが、呉服の仕立ての仕事をして
生活を支えていました。「働けど働けど猶我が暮らし楽にならざり」を地で行くような
生活でしたが、両親とも身を粉にして働きました。
そんな姿を見て私は「必ず、両親を幸せにしてあげる」と心に誓ったのでした。
本当に優しい母でした。
65歳の時にパーキンソン病を発症してからは入退院の繰り返しでしたが、
グチひとつ言わずいつも周りに「ありがとう、ありがとう」と言っていました。
入院中に誤嚥から肺炎にかかり危篤になりましたが、それから4週間生死の間を彷徨う
戦いをしました。
その立派な戦いを私たちに見せてくれ、静かに息を引き取りましたので、
私たちは思い残すことなく「もう苦しまなくていいよ!もう頑張らなくていいよ!
お疲れ様でした!安らかに眠ってね!」と天に送ることができたのでした。
亡くなった後、私は「もっとああしてあげたかった、こうしてあげたかった!」と
思うことが沢山ありましたが、一番の心残りは、故郷山形へ一度も連れて行って
上げなかったことです。故郷から逃げるような形で上京した両親は「二度と故郷へは
戻れない」との思いだったかもしれませんが、それでも本当は帰省したかったに
違いないのです。ですから、私たちが無理にでも連れて行くべきでした!
ごめんね、お父さんお母さん。
でも、きっと今は二人仲良く手をつないで故郷の空の上を歩いていることでしょう。

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亡き母を想う・・・ への16件のフィードバック

  1. ハンちゃん のコメント:

    重い話なので

    後でじっくりと

    コメントします

  2. みこちゃん のコメント:

    本当にいろいろありましたね
    特に晩年は、二人共パーキンソンで
    お父さんの入院先を二人で探し回ったね
    でもみどりのおかげで旅行にも行けたし
    (夜中お父さんがやかんを持って、徘徊して
    大変だったけどねー(笑))
    頑張って行きてくれたとおもいます
    お互いだんだん母親に、顔が似てきたと
    思いませんか?
    ハンちゃん、そんなに重く考えないでね
    優しい人ですね

    • GreenVoice のコメント:

      みこちゃんは毎日二人の病院に行ってくれましたし、家でもよく面倒を見てくれました!本当に感謝しています。おかげで私は安心して仕事に頑張れました。
      お父さんは旅行の時だけじゃなく、自転車ででかけて道がわからなくなり、親切な人に助けられたこともありましたよね!お父さんは会うたびにいつも「みどりちゃん体だけは気を付けるんだよ!」って言って、私を送ってくれたことをよく覚えています。

  3. ハンちゃん のコメント:

    みどりさんこんばんは♪

    「親孝行したいときには親はなし」

    昨年、ハンちゃんも母親を亡くしました
    みどりさんと同じことを思いました。
    亡くなった後、
    「もっとああしてあげた かった、
    こうしてあげたかった!」と後悔の念
    だけが残り、立ち直るまでに
    3ヶ月以上かかりました。
    なぜ3ヶ月もかかったというと
    母親が蒲団の中で亡くなっていました。
    夕方気が付いたのですが
    亡くなったのは夜中でした
    約20時間気が付かなかったのです……
    いつもよく寝ていたので
    誰も気付かなかったのです。
    それから3ヶ月以上
    罪の意識から立ち直れませんでした。

    みどりさん
    お父様お母様が山形へ帰れなかった分
    みこちゃんみどりちゃんが
    変わって帰ったらどうですか?
    年に一度でも二人で一緒に………
    むずかしいですか?

    誰もが持っている
    親への恩と
    親への罪の意識

    誰もが感じていることなんですね。

    後悔先に立たず

    ですね!

    だから今
    やれることをやりましょう!

    悔いのないように!!

    • GreenVoice のコメント:

      ハンチャン今日は!
      ハンチャンのお母さまがお布団の中で誰にも気づかれずに亡くなっていたことは前にもお聞きしました。辛かったですよね!私たちは
      母を「もう頑張らないでいいよ!お疲れ様!」って送ってあげられても、いろいろ悔いが残ったのですから・・・・
      両親だけが帰省できなかっただけで、私たちは帰省していますよ!
      特ににみこちゃんは母の妹と仲が良いので結構行っています!

      • ハンちゃん のコメント:

        みどりちゃん

        この写真

        みどりちゃんの

        面影ありますね~

        4歳だと

        わずか20年前なのに

        白黒写真ですか~~?

        でもみどりちゃん

        今も「大昔」も

        可愛いね~!

        • GreenVoice のコメント:

          ハンチャン!

          「4歳の私を誰も可愛いって言ってくれないなぁ」って思っていたんでーす!
          目がちょっと下がっているところは今も変わらずでしょ?
          どちらかというと私は父に似てるとよく言われたので、父は
          私をどこへでも連れて行きましたっけ!!笑。

          • ハンちゃん のコメント:

            話の内容からいきなり

            可愛いね!

            とは入れませんよ

            皆みどりちゃんが

            変わらず可愛いと

            思っていますよ!

            当たり前じゃありませんか~(笑)

          • GreenVoice のコメント:

            そうでありんしたか!( ^)o(^ )

  4. 黒ちゃん のコメント:

    こんにちは。無事に1時間ウォーキングできました。埼玉県熊谷の運動公園で。近くのウォーキングだけでは飽きてきたんで。でも天気良かったから、家族連ればかり。独り者には目の毒?でした。マラソン完走の目標あるから気にしないと思いましたが、気になって、気になって。

    • GreenVoice のコメント:

      黑ちゃん今日は!
      今日から出勤ですね!
      今日は私も熊谷を通って来ましたし、小杉も通りましたよ!!
      ウォーキングの時間をだんだん増やして行くことと、軽いジョギングもそろそろしないといけませんよね?

  5. エンチャン のコメント:

    みどりさん 今晩は。
    みどりさんのお母様と同じように私の母親も呉服の仕立ての仕事をしていました。無理な日程で頼まれて徹夜でやっていて子供心にも母親の心配をしていました。仕立ての腕と書道の腕は自信が有ったようです。(子供は誰も受け継いでいません)
    若いころは姑、小姑に泣かされたようですがこれは時間が解決してくれました。
    晩年は子、孫に囲まれて幸せそうで、機会が有るごとに短歌を作っていました。
    その短歌(216首)を姉と私で整理して今年の春に歌集として纏め皆さんに読んでもらっています。
    そしてこれが私の宝ものです。

    • GreenVoice のコメント:

      エンチャン今日は!
      エンチャンのお母さまも呉服屋さんの仕立てをしていらしたのね?
      私も、母に似ないで針は使えません。
      更にエンチャンのお母さまは短歌をなさっていたんですか?
      機会があったらその歌集を読ませてくださいね!

  6. トシ のコメント:

    おはようございます。ご両親はずいぶん苦労なされたようですね。そのご両親のおかげで、みどりさんがいて、みんなに幸せをとどけたり、喜びを与えているですから、ご両親も天国で喜んでいるとおもいます。軽井沢は寒かったのでしょうか。

    • GreenVoice のコメント:

      トシさん今日は!
      先日はハワイ気分を味わわせて頂きありがとうございました!!
      「子供は親の背中を見て育つ」って本当ですね!
      私は花笠音頭を歌い踊る時はいつもじいちゃんや両親が
      天国で一緒に踊っているような気がしています。
      軽井沢は寒いくらいでした。私な平気でしたが、皆そう言っていました。笑

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