トルコ研修記8~トルコ・日本の友好関係~

おはようございます!
昨夜は久しぶりに夜出かけてお酒もちょっと飲んでみました。どうなるかと思いましたが、なんと今日はバッチリ元気になりました!復活です!!でも、あまり無理はしませーん。

さてお届けしているトルコ研修記、今日は日土の関係について少しお話しましょう!
トルコは世界一親日的だと言われていますが私も今回どこへ行ってもそれを感じました。
カッパドキアでは女性にハグされてしまったくらいですよ!笑。
その親日になった発端は明治時代のある事故でした。

1890年、エルトゥールル号に乗ってオスマントルコ帝国の使節団が来日。明治天皇に拝謁した後帰国の途に就いたが、和歌山県串本町沖で同号は座礁し、581名が死亡。串本町大島の住人が必死の救助にあたり、69名を救出。自分たちの食べ物を与え、裸で体を温めなどをして看護に当たりその後日本海軍の巡洋艦でトルコまで丁重に送った。
  時は流れて1985年。イラン・イラク戦争が激化する中、フセイン統治下のイラクは、テヘラン空爆を開始。期限を設定して「期限以降にイラン領空を飛行する飛行機は民間機であろうとすべて撃墜する」と通告してきた。
 当時テヘランには日本企業社員やその家族等250名がいた。日本の航空会社は乗員組合が「危険なところには飛行できない」と拒否したため救援機を飛ばすことが出来ず、また各国の航空会社は自国民の搭乗を優先したため乗り込むことができず、あと数時間でイラクの通告期限が来て日本人はそのままテヘランに取り残され、イラクの空爆下を逃げ惑うしかない状況に追い込まれつつあった。
 そこに飛来したのが2機のトルコ航空の特別機2機。当時のオザル・トルコ大統領が「今こそエルトゥールル号の恩を返そう」と派遣を決断。日本人ほぼ全員が乗り込むことが出来て、無事脱出することが出来たのでした。
 今度は1999年のトルコ大地震の際には日本からトルコへ捜索隊・救助隊の派遣、緊急円借款供与、緊急物資・無償援助、仮設住宅供与などが行われた。
 その他日土にはさまざまな友好関係に繋がる出来事があり今に至っているのです。

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トルコ研修記8~トルコ・日本の友好関係~ への12件のフィードバック

  1. エンチャン のコメント:

    みどりさん 今日は。
    ♫ウスクダラ はるばる訪ねてみたら 世にも不思議な噂の通り 街を歩いて驚いた これでは男がかわいそう~♫という歌が有りましたが覚えていますか?この歌のように街を歩いている女性は魅力的でしたか?
    ボスポラス海峡の地下鉄ですが工事の内容は以前TVで紹介していました。
    海外で日本の技術が生かされているのを見るのは嬉しいですね。

    • GreenVoice のコメント:

      エンチャン今日は!はい、私も思わず♪~ウスクダラはるばる訪ねてみたら~って歌っちゃいましたよ!!でも、女性は魅力的だったかどうかは見ませんでしたね~。笑。日本の技術は本当に素晴らしく世界各地で見ることができます。大橋や地下鉄はイスタンブールのアジアサイドとヨーロッパサイドを結ぶ大動脈。これがない頃はフェリーだけだったのですからどれほど便利になったか計り知れませんよね!

  2. みこ のコメント:

    はーい、皆さん同じ年代ですね。
    私もすぐにあの歌を
    口ずさんでいました(笑)
    トルコを漢字で書くと
    土耳古なんですね
    なんかおもしろいです。

    • GreenVoice のコメント:

      みこちゃん今日は!トルコって「土」だけかと思ったらあんな字を書くのね!「どじこ」って読んじゃいますよねぇ~(@_@;)

  3. あっきー53 のコメント:

    みどりさん
    こんにちは
    以前地下鉄は工事中でしたね!
    最近のツアーには乗車体験がありますが
    日本と比較して何か珍しいものがありました?
    ♪♪ウスクダラ・・・の歌って若いみどりさんが
    口ずさむほどの時代のものですか(笑)

    • GreenVoice のコメント:

      あっきーさん!私を誰だと思ってるの?「ジュークボックスみどりちゃん」ですよ!ボタンを押せばなんだって出て来るんだから!!「♪~ヤムスタファヤムスターファ ヤムスタファヤムスタファ~」
      もね!

  4. ハンちゃん のコメント:

    みどりさんおはようございます♪
    ウスクダラ?
    知らないです。本当に初めて聞きました。日本では江利チエミさんが唄っていたらしいですね。ネットで調べました。

    《Wikipediaより》
    1954年8月、雪村いづみは「帰らざる河」のB面に「ウシュカ・ダラ」としてこの曲が収録された。この歌唱は、井田誠一の「訳詞」にる日本語のみの歌唱であるが、内容はトルコ語の原義からは離れている。

    同年8月、江利チエミは「ウスクダラ」として、アーサー・キットと同様にトルコ語の歌唱や、語りの部分を組み込んだ構成をとる音羽たかしの詞により、この曲をシングルA面としてリリースした。また、1954年の『第5回NHK紅白歌合戦』では、江利によって本楽曲が歌唱された。
    1950年代に世界的にヒットし、日本でも江利チエミの歌唱で知られたトルコ民謡の「ウスクダラ」(Üsküdar’a -「ユスキュダルへ(行ったら)」という意味)の舞台である。ただし、音羽たかしによる日本語訳詞はトルコ語の原歌詞とはほとんど関係がないエキゾチックな内容である。
    以上

    YouTubeで聴きました。セリフが多い唄ですね。江利チエミさんで思い出すのが、元高倉健さんの奥さんでヒット曲は「テネシーワルツ」「酒場にて」で、「サザエさん」を実写版でやっていた人。これくらいですかね~

    トルコとの関わりがこんなに深いことも知りませんでした。イランイラク戦争時、日本人救出にあたって日本の航空機が救出に飛べなかったにもかかわらず、そこに飛来したのが2機のトルコ航空の特別機2機。当時のオザル・トルコ大統領が「今こそエルトゥールル号の恩を返そう」と派遣を決断。日本人ほぼ全員が乗り込むことが出来て、無事脱出することが出来たのでした。
    大昔の恩をこのときぞって恩返しをする、素晴らしい人間愛を感じました。
    どこかの国々に聞かせてあげたいてす♪

    改めて、みどりさんありがとうございます。
    みどさんの研修記は日本歌謡曲から世界地理、世界史、そして人間愛を勉強させていただきました。
    世界は広い、世の中もまだまだ捨てたもんじゃ無いことが良~くわかりました。

    ありがとう(^.^)(-.-)(__)

    • GreenVoice のコメント:

      ハンチャンおはようございます。「ウスクダラ」を知らないなら九ちゃんの♪~ヤムスタファヤ~もご存じないかしら?
      皆が世界平和を望んでいるはずなのに争いが絶えません。人間の罪なのでしょうね・・・・

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