朝6時、月はまだ西空で輝いています。
が、すでに今日は「望月のかけたることもあり」になってしまっています。
実は2日前の23日が満月で、しかも、ある記念の日だったのです。それが
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
(意味は、この世は自分のためにあるようなものだ。望月(満月)のように足りないものは何もない)
という歌を、あの藤原道長が祝宴で詠んだ日からちょうど1000年経ったその日だったのです。この日も満月、栄華を極めた藤原氏の時代は移り変わったが、望月はなお欠けることなく地上を照らし続けているということになりますね!
平安の貴族・藤原実資(さねすけ)の日記「小右記(しょうゆうき)」や道長自身の日記によると、道長はこの歌を寛仁2(1018)年10月16日に詠んだと記されていますが、今年の旧暦10月16日は11月23日にあたるのです。
道長については、私が勉強している『源氏物語』の作者である紫式部が、道長の長女彰子(のち院号宣下して上東門院)に女房兼家庭教師役として仕えたということでも知られていますので、今日はこの記事を書かせて頂きました。
こんにちは
本日は国語のご講義
ありがとうございました。
ところで望月はどう読むのでしょうか?
ラジ今日も楽しく聴きました。
大好きな和歌山ブルースがかかって
嬉しかったです*\(^o^)/*
みこちゃん今日は!「望月」はそのまま「もちづき」でいいのですよ!ラジオ私も笑いながら聴きました!!
道長は「ぼうげつ」と詠んだのか「もちづき」と詠んだのでしょうか?
「望月」懐かしい。中仙道二十五番目の宿場が「望月」
平安時代・信濃十六牧(場)で、朝廷への貢馬が最も多い
御牧(みまき)の滋野氏(公卿の嫡流)が貢馬の駒牽きを
望月(8月15日)に行い、一族に望月姓を与えられ
滋野氏の武士団は、滋野・海野・祢津の滋野三氏と呼ばれ
真田幸隆(幸村の祖父)は、海野から真田の庄に移り
真田に改姓したと子供の頃に聞かされました。
爺の疎開先は滋野で、海野・祢津の地名も残っています。
文章があちこちおかしいね(笑
あきつの爺さんおはようございます!昔から私は「望月」と読んでいたのでいたので疑いもなれが正しいと思っていました。今度古典の知識の深い方に伺ってみまーす。ありがとうございます。
みどりさん 今晩は。
この情報は源氏物語を勉強している事からのものですね。
栄華を極めていても長くは続かないないものですね。
どこかの経営者を思ってしまいます。
エンチャン今晩は!そのとおりです、望月が欠けて行くのと同じように、その後、道長は病魔に侵され息子や娘たちも次々に死去してしまいましたからね。