おはようございます!
「我ら食事支援隊」は宮城県から昨夜帰宅しました!
これまでは仙台市内のみの活動でしたが、今回は石巻での活動も加わり、又新たな出会いがありました。
仙台の仮設住宅にお邪魔するのは今回で3回目ですが、入居者の方がずいぶん減っていました。多くの方が復興住宅等に引っ越していらしたのです。その為私たちも顔見知りの方との再会を喜んでいいのか、悲しんでいいのか複雑な心境でした。
そして、石巻の仮設住宅の方の言葉が胸ズシンと来たのです。この方も、間もなく復興住宅に引っ越しが決まっているのですが、こんな風におっしゃったのです。「ここにいたら顔見知りもいて淋しくないけど復興住宅に行ったらどんなに淋しくなるだろう。それが私の今一番の悩みなの」。
普通は「仮設住宅から出られて新しい住宅に住めて良かったね!」と思いがちですが、それが「悩み」と言う言葉を聞き、ここにも復興の難しさがあると感じました。
小さな力しか持たない私達が今できることは「淋しい」と言う方に寄り添う事なのかな?と改めて感じて帰って参りました。
お帰りなさい。復興の話テレビで放送しなくなってきて、現地の方の声何も聞けなくて。みどりさんのようなかたから生の声聴いて。復興は難しいですね。でも難しいじゃすまないです。何もできない僕はみどりさんの応援して微力の協力するしかないのかな?。寂しいです。
黒ちゃん今日は!実際に被災者の方にお話を伺うと現実が分かりますね。私は支援はそれぞれ自分のできる形でして行く事が一番だと思っています。ですから黒ちゃんのように私の復興支援コンサートをボランティアでお手伝い一つの支援の形だと思います。その思いを私は又直接皆さんにお伝えして行きますので!有難うございます!
みどりさんお疲れさまでした!
仮設住宅はまだまだ沢山ありますね
こんな町の中にも、こんな田舎にも
沢山、沢山あります!
仙台の長町南にあるIKEA仙台から数百メートル離れた街中にもあります。
かと思えば山間の辺鄙なところにもあります。
しかし、そこには四年半以上の生活があります。今になってまた離ればなれ、一から新生活を作り上げていかなくてはなりません。不安でしょうね、政府、行政の行動が遅い!
何千億円もかけてオリンピックを開催するよりも、東日本大震災の復興を1日も早く!
しかし、石巻市内を走りますと被災した家が解体され無くなって来ていますが、新しい家がまだまだ立てられておりません。
道路もナビではあるのですが実際には通行不可能な道!
堤防や電車の高架橋は抱懐したまま!
復興はまだまだ!
極論かもしれませんが
オリンピックをやめて復興資金に回し、中止が無理なら現状施設で開催しその予算や利益を復興資金にしませんか?
国会議員の一人でも良いからこんな声を聞きたいです!
ハンちゃん今晩は!「震災は貧困に襲いかかる」と言う本を出した方がいらっしゃいますが、まさにそれを目の当たりにしてきた感じです。でも、どういう方向に行くのがいいのか?それは被災者の方々の思いもそれぞれだから行政のせいばかりではなく、なかなか進まないというのも現実だと思います。そんな中で、私たちはやはり、その時を見て「何が今必要か」に応えて行くしかないのかもしれません。
ここはひとつみどりさんを国政へ?
みどりさん お疲れ様でした。
大川小学校、私は4回足を運びました。
これからも、手を合わせに訪問します。
訪問の度、なんでここで・・・と、行く度に感じます。
校庭から裏山まで、ゆっく駆けても・・・
先生方の誰れもが、川を見ていなかった・・・だろうな~と
被災地訪問での大川小学校は、とても辛いです。
南三陸から、海岸線を上ると、何が復興なの?
気仙沼も漁港周り以外の所、何も変わっていない。
陸前高田12Mのかさ上げ工事、津波到達は、20M以上なのに、
何か変だよこの国は!!!
ジーコさん今晩は!雄勝町では高台にどんどん新しい建物が作られようとしていました。しかし、ある被災者の方にお話を伺ったら、そこに戻りたいという町の方はいまでは2割しかいなくなってしまったそうです。被災者の方の思いも時が経つにつれて変化して行ってしまうのですから、問題は複雑だと思いますね。私も大川小学校の悲劇は本当なら防げたような気がします。